はじめまして、藤山奈見と申します。
私は現在、家の外回りにあるフェンスやデッキ、カーポートなどのエクステリア販売と、
窓や玄関などのサッシを取り扱う、サッシ屋の店長をしています。
お客様からご依頼いただいた施工例を詳しく解説する
「MADOカラリフォーム」というサイトも運営していますので、
ここに紹介させてもらいます。
サッシ屋の店長になる前は、ピアノの先生、保育士を経て、ついこの間までは普通の専業主婦でした。
幼少期からピアノ教室に通い、夢だったピアノの先生や、保育士の仕事に就いたにもかかわらず、私は大切なピアノを40代で手放すことにしました。
どうしてピアノ講師をした経験のあるわたしが、ピアノを売る決心をしたのか、いきさつをご紹介します。
あなたは子どもの頃、大きくなったら何になりたいって答えていましたか?
わたしは、自分の意志で
「○○になりたい」
と言ったことは一度もありません。
父と母が結婚6年目にしてようやくできた、念願の子どもが私です。
飛騨の田舎で、大切に大切に育ててもらった一人娘です。
「危ないからダメ」「やっちゃだめ」「大きくなったらね」
と、心配性の母は未然に危険を防ぎ、私を守ってくれました。
そのかわりに、
「相談してもきっとダメだと言われる」
と子どもながらに悟っていたので、色々なことを挑戦する前にあきらめていたような気がします。
そんな母は世間体をとても気にしていて、
子どものころ、夢を書くときには母が口出しをしてきました。
「ピアノの先生がいいんじゃない?」
「保母さんがいいんじゃない?
「銀行でお勤めもいいわね。管理栄養士もいいと思うよ」
このように高校生になるまで、私の夢は母の意見でした。
その時は何も思いませんでしたが、
自分が母になり、子どもを育てて思うのは、
私は窮屈な子ども時代を過ごしたように思います。
余談ですが、私の娘が最初に口にした夢は「サンタさんになる」でした。
息子は、「戦車になる」と言いました(笑)
「子どもはそうでなくっちゃ!」
と、二人の夢をほほえましく、母となったわたしは嬉しく聞いたことを鮮明に覚えています。
高校生になり、本当の夢を持っていない私に、クラスの友達が、
「小さなころからの夢である保育士に絶対なるんだ!」
と熱く語るのです。
それに感化され、
「保育士さんは、毎日子どもと遊んでるだけだし、
おかげさまでピアノも弾けるし、私も保育士にな~ろう!」
と、安易な気持ちで進学を決めました。
まさか母に言われて書いた夢の1つ、
「保育所の先生になりたい!」
という夢がかなう一歩を踏み出してしまいました。
私は、富山県にある短大の幼児教育学科に入学しました。
私は短大を卒業したら、地元に戻って就職すると約束をし、富山へ進学したのですが、そのまま富山で就職をしました。
たまたま楽器店から、ピアノ講師の募集がきていて、
担任の先生に勧められたので、言われるがまま面接に行きました。
その日、その場で合格し、就職活動をすることなく勤め先が決まってしまったんです。
保育士になるために進学したはずが、
まさかの幼少期に母に提案されたピアノの先生になることになりました。
ピアノ講師として、子どもから大人までレッスンを受け持ち働きましたが、
夕方からしか仕事のないピアノの先生は、一人暮らしの生活費を稼ぐのがままならず、
1年で辞めて転職することに決めたのです。
「やはり資格を生かさなくてはいけない!」
と思った私は、保育所に転職したのです。
こうして、またしても幼少期に母から提案された保育所の先生になることになりました。
自分で語った夢でもないのに、母に促されて書いた夢なのに、
わたしはピアノの先生も保育所の先生も、母の願った夢をどちらも叶えてしまったのです。
おかしなものですね(笑)
わたしは平成12年3月4日に結婚しました。保育所は辞めて、完全に主婦になります。
23歳で第一子の女の子を出産。
27歳で第二子の男の子を出産。
ど~っぷり専業主婦になりました。
わたしは掃除と洗濯をちょこっとして、専業主婦を満喫します。
保育士時代の童謡の楽譜があったので、
まだ赤ちゃんの子どもにピアノを弾きながら歌って聞かせ、
大きくなった頃には、一緒に歌ったり、踊ったり、我が家のリビングは保育所のようでした。
息子が幼稚園にあがった頃、頼まれて保育所へ週1日だけ仕事に出る事になりました。
元保育士なので、仕事内容も楽しく、週一の勤務は、どっぷり漬主婦の復帰としては丁度良いペースでした。
そんな矢先、常勤保育士さんが産休に入ることになり、人手不足が発生。
頼み込まれて断れず、私は週一の勤務から、毎日4時間の半日勤務になりました。
久々の保育士業務に、緊張しながらも意気込みだけはあったのですが、
わたしのやる気とは裏腹に、子どもは、微熱を出したり、喘息の発作が出たり、仕事を休まなければいけない日が増えます。
わたしの無駄にある責任感が邪魔をし、仕事を休むたびに胸が痛く、苦しくなりました。
なんとか3月まで務めましたが、子どもの体調不良のたびに、
休むことが申し訳なくなった私は保育所を退職しました。
息子は年中さんにあがり、わたしはママ友に誘われ、幼稚園のクラス役員をしたり、気の合うママ友とランチをしたり、お気楽主婦と子育てをして過ごす日々に戻るのです。
下の息子が小学生に上がった頃、家業のサッシ屋の手伝いをして欲しいと主人に頼まれます。
慣れない仕事に四苦八苦でしたが、徐々にわたしの仕事量が増えていきました。
経理のほかに、営業、打ち合わせ、現場施工の手伝いまでこなすようになり、
家事と子育ての時間に追われます。
そんな時、整理収納アドバイザーで活躍している友達から、
家が整えば、家事にかける時間が減り、自分の時間が増えることを教えてもらいました!
「そこまで言うなら、試してみるか」
と半信半疑のなか、整理収納を習い、少しずつ始めてみたのです。
結果は驚くほど生活が変わりました!
家は常に整い、物が散乱することが減ったおかげで、掃除はスムーズ、
食事作りまでも手早く上手にできるようになりました。
私はポンコツ主婦だったのですが、今ではハードな仕事、家事、子育て、
なんでもやりこなすスーパー主婦になった気分です(笑)
もっと詳しく学びたいと思い、自分自身も整理収納アドバイザーの資格を取得しました。
その中で、「足るを知る」という事と、
「物の価値は使ってこそある」という2つを学びます。
資格を取得したあと、家の中を見渡すと、目に止まるのが使っていないピアノです。
サッシ屋業に明け暮れ、もう何年もピアノを弾いていませんでした。
そんなとき、子どもを通わせていた幼稚園から、
「先生として働いて欲しい」
と何度も電話をもらいました。
悩んだ末出した結論は、お断りさせてもらうことに・・・
もう今は、家業であるサッシ屋の仕事の方が、やりがいがあり、楽しいのです。
この先も、わたしが保育士になる日は無いように思うし、
娘は進学で家を出て、ピアノを弾くことは二度と無いのでは・・・と感じるようになりました。
部屋を広く使いたい私は、ピアノは邪魔なものと思うようになっていました。
しかし、思い出のあるピアノを処分すると思うと心が痛むのです。
「物の価値は使ってこそある」という学びを生かすために、ピアノを処分するのではなく、
「もし次に使ってもらうことができるのなら、どなたかに利用してもらいたい!奏でてもらいたい!」
と思い、古いピアノの買い取りについて調べました。
わたしは最終的に、ピアノを買い取ってもらいました。